東京高等裁判所 昭和40年(行ケ)39号 判決 1977年10月11日
原告
奥村文治
被告
特許庁長官
主文
原告の請求を棄却する。
訴訟費用は原告の負担とする。
事実
第1. 当事者の求めた裁判
原告は「特許庁が昭和40年3月29日同庁昭和32年抗告審判第912号事件についてした審決を取消す。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決を求め、被告は主文同旨の判決を求めた。
第2. 請求原因
1. 特許庁における手続の経緯
原告は、昭和30年10月26日特許庁に対し、名称を「手編機におけるカム構造」とする発明につき昭和28年特願第17489号に対する旧特許法第2条の規定による追加特許出願をしたが、同32年4月11日拒絶査定を受けた。そこで、原告は同32年5月8日抗告審判の請求をし、同年抗告審判第912事件として審理されたが、同40年3月29日「本件審判の請求は成り立たない。」旨の審決があり、その謄本は、同40年4月22日原告に送達された。なお原特許願の昭和28年特許第17489号は昭和29年9月26日拒絶査定を受け、これに対する抗告審判請求に対しては、同34年6月30日抗告審判請求不成立の審判があり、これに対する審決取消訴訟は同44年3月29日請求棄却の判決があり、上記判決は確定した。
2. 本願発明の要旨
①手編機において、②ニツテイングカムおよびライジングカムをそれぞれ二分し、ニツテイングカムの上半部は自動的に出没せしむるようにし、下半部はカムプレートに固着し、③また、ライジングカムの上半部はカムプレートに固着し、下半部は引き上げて休止させるようにしたことを特徴とするカム構造。
3. 審決理由の要点
本願発明の要旨は、前項のとおりである。ところで実用新案出願公告昭和30年2748号公報(以下「第1引用例」という。)には、手編機において、模様編・引返し編などを編成可能とするために、ニツテイングカムおよびライジングカムをそれぞれ二分して形成し、それらの一部を作動位置または不作動位置におくことが記載され、昭和7年実用新案出願公告第17151号(以下「第2引用例」という。)には、①横式メリヤス編成機において、②ニツテイングカムおよびライジングカムをそれぞれ上下に分割して形成し、ニツテイングカムの下方部分はカムブレートに固定し上方部分を編針のバツトにより自動的に出没させるようにし、③ライジングカムの下方部分は作動させるかまたは作動させないかにより丙丙'線または丁丁'線のように編針バツトを運動させるように構成したカム装置が記載されている。
そこで本願発明を第2引用例と比べてみると、その構成要件各①において手編機と横式編機との違いはあるが、本願発明のようないわゆる動針型手編機のメリヤス編成原理および編針バツトに対するカムの作用は横式編機と同様であるから、横式編機のカム装置と同様の機構を手編機に施すことは当業者が容易に考えられるところである。そして本願発明の構成要件②③に示す技術思想は第2引用例の②③の技術思想と同一と認められる。しかも、ライジングカムを二分することおよびニツテイングカムを二分してフロートステツチを編成を可能にすることは本願出願前公知であるから、模様編・引返し編を編成可能にすることを目的とする本願発明は、第2引用例のカム装置の思想を単に手編機に転用したものに相当し、当業者の容易に考えられる程度のものであつて、旧特許法第1条の発明を構成しないものと認められるから特許を受けることができない。
4. 審決取消事由
審決は、第1、第2引用例がいずれも実施不可能な考案であるのに、これをみすごし、その技術内容を実施できるものと認定し、それらから本願発明が容易推考できるとしたが、その判断は誤つており、違法であつて取消されねばならない。各引用例の実施不可能の理由はつぎのとおりである。
(1) 第1引用例は縞物ジヤガード模様を編成する場合に必要とする編生地移動防止装置であるプレツサーや糸の取替え装置であるヤーンフイーダーを具備していないばかりでなく、ニツテイングカム6、12および6'、12'に段差があり、段差があるニツテイングカムは編糸の供給ができないから実施不可能である。
(2) 第2引用例では、ニツテイングカム3'、3"はそれぞれ個々別々の位置に上下させることができないので編目の大小の調整ができず、編成することができない。また、補助カム6'、6"は支軸4を中心として開閉するようになつているので編針のバツトが通らない。
なお、第2引用例は、複雑高価なジヤガード装置や糸転換装置を施さなければ縞物、ジヤガード模様が編成できない工業用横式メリヤス機械に関する空想的発明であつて、本願発明とは何ら関係がない。
第3. 被告の答弁
請求原因1.2.3.項の事実は認めるが4.項の主張を争う。審決には原告主張のような判断の誤りはなく何ら違法のかどはない。
(1) 第1引用例の図面にプレツサーおよび糸を切断せずに取替えることができるヤーンフイーダが記載されていないことは認めるが、その図面は考案の内容を明かにするための説明図であつて、その考案の技術内容が当業者に理解される程度に記載されていれば足り、実施に当つて従来公知のプレツサーやヤーンフイーダーを用いることは当業者が普通に行う程度のことであつて、これらについての記載がなくても十分実施可能である。
また、第1引用例における可動カム(ニツテイングカム)6と副カム(ニツテイングカム)12とが一直線に連続していないこと、すなわち、原告のいう段差がある(カム6'と12'との関係も同じ)ことは認めるが、山形カム5、小山形の副カム11によつて編針4は給糸嘴9の下方に前進し、そのフツクeに給糸することができることは第1図に記載されているから編糸の供給ができないことにはならない。ただ、可動カム6と副カム12とが一直線状でなく、副カム12の後端部が櫛歯状板10と平行した部分があれば、ないものに比べて可動カム6によつて編目の大きさを決定するまでに必要とする編糸の供給が円滑でなくなるおそれはある。しかしその場合であつても、副カム12の櫛歯状板10と平行した部分の長さを小さくし、その傾斜辺の長さを短かくする等適宜設計上の配慮を加えることにより編成可能に編糸を供給することができ、何ら不都合はない。
(2) 原告は、第2引用例ではニツテイングカムを個々に上下させることができない旨主張するが、摺動板(1)(2)全体を鞍(10)に対して上下できるようにすれば編目の調節を行うことができる。このことは当業者によく知られているところであるばかりでなく、たとえ、ハーフカーデガンやフルカーデカン等の変化組織が編めず、平編のみしか編めなくても十分実用性はある。
また、補助カム6'、6"は支軸4を中心として開閉しても、天山(6')、(6")には針(A)を下降させる溝を構成してあるため、針のバツト(A)'は天山(6")カム側面に衝突せず、天山(6")の溝の部分を通過するものであるから、編針が相手のカム面に当つて編成できないということはない。
第4. 証拠
原告は、甲第1号証から第4号証まで、第5号証の1・2・3、第6号証、第7号証の1・2・3・4、第8号証、第9号証の1・2・3を提出し、乙第1号証の原本の存在および成立を認めると述べた。
被告は乙第1号証を提出し、甲号各証の成立を認めると述べた。
理由
1. 請求原因1.2.3.項の事実は当事者間に争いがない。
2. 原告は審決取消事由の根拠として各引用例が実施不可能なことをあげているので、各引用例について検討する。
(1) 第1引用例について
成立に争いのない甲第5号証の1・2・3、同第6号証によれば、編生地の移動防止装置であるプレツサーや糸取替装置であるヤーンフイーダーそのものは、編物機械に適宜用いられてきた従来公知の部品であることが認められ、一方成立に争いのない甲第3号証によると、第1引用例の考案は横式毛糸編機におけるカム装置の構造自体を対象としたもので、編生地移動防止装置や糸取替えの装置やこれに関連したものを対象としたものでないことは、その考案の説明に徴し明らかである。したがつて、成立に争いのない甲第7号証の1・2・3・4にも見られるように、もしそれらの装置を設ける必要があれば、第1引用例のカム装置においても当業者が当然に取付使用するものと考えられる。
また、第1引用例における可動カムと副カムとは一直線に連続せず、段差があることは当事者間に争いがない。しかし、前掲甲第3号証によると、第1引用例において可動カム、副カムを設けたのは、可動カムを斜め前後に進退調整可能にするためであること、すなわち、その公報添付の第1図についてみると編針4は給糸嘴9の下方に前進して、そこでそのフツクeに給糸され、その後、編針は可動カムと副カムにより後退させられることが認められる。したがつて、可動カムと副カムとの間に段差があることにより編糸の供給が円滑に行われないことによる不都合が生ずることは考えられるにしても、それによつて編糸の供給が不可能であるとは考えられない。
そうすると、第1引用例が実施不可能だとする原告の主張はいずれも根拠がなく、採用できない。
(2) 第2引用例について
前掲甲第5号証の1・2・3、同第6号証によれば、キヤリツジに対してカムプレートの位置を選択した後、締付けて編目を調整することは、従来編物機械に適宜用いられてきた公知手段であることが認められ、また、成立に争いない甲第4号証によれば、第2引用例の考案は編目の大小調整機構を対象にしていないので、この点についての説明は、あえて加えていないものと認められる。したがつて、摺動板(1)、(2)全体を鞍(10)に対して上下できるようにするなど、上記のような編目調整の手段を第2引用例のものに採用することは当業者の慣用手段と考えられる。
また、前示甲第4号証によると、補助カム(天山)(6')、(6")は支軸4を中心として開閉するけれども、天山(6')、(6")には針(A)を下降させる溝を設けてあるため、編針のバツトが通らないということは起らず、かえつて同公報第7図およびその説明の記載をみると、各カムの作用による編針のバツトの運動経路が示されており、その全体の説明からみて編成が可能であると認められる。したがつて第2引用例が実施不可能だとはいえない。
なお、第2引用例は工業用メリヤス機械に関するものであるけれども、これを空想的考案と認むべき証拠はなく、かえつて、前示甲第4号証によると、第2引用例にはジヤガード装置や糸の転換装置についての直接の記載はないが、考案の要旨と関係がないところから、これらの装置の説明を省略しているにすぎないことが認められるし、また、一般にこの種編物機械の分野において工業的・自動的に行われていることを手工業的・手動的に行うようにすることは、いわゆる転用にほかならないというべきであるので、第2引用例は本願発明と何ら関係がないとはいえない。
そうすると第2引用例についての原告の主張もいずれも根拠を欠き、採用できない。
3. 以上の次第で、原告の本訴請求は理由がないから、棄却することとし、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法第7条、民事訴訟法第89条を適用して、主文のとおり判決する。
(杉本良吉 舟本信光 石井彦壽)